Archives ( 2007-01 )

MADE IN 足立20

連載物語 MADE IN 足立

隣りに住んでいたえっちゃんは同じ梅島幼稚園に通っていた親友。
えっちゃん家の庭には大きなイチジクの立派な木があって、その実がなる季節になると食べ放題だった。
イチジクの木の下でイチジクの実を頬張っていると
えっちゃん『えぇ~!!まゆみちゃんまた花やしきに行ったの?いいなぁ~お父さんいつも連れていってくれていいねぇ。羨ましい~』
私『まぁね』
えっちゃん『まゆみちゃんのお父さんて、何でそんなに花やしきに連れて行ってくれるのかな?』
私『う~ん。なんでかな?』
今思うと花やしきには行ったけど乗り物に乗った記憶が全然ない・・なぜだろう・・確かに花やしきには行ったはずなのに↓

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私『お父さんさぁ、私が小さい頃、毎週花やしきに連れて行ってくれたよね』
大人になって母に話したら
母『馬鹿だねぇ。あれはね、毎週馬券を買うために行ってたんだよ。馬券だけ買いに行くと私に怒られるから子どもを遊びに連れて行くとか言ってお前たちをだしに使ってたんだよ』
ガ~ン・・・
確かにそう言われてみれば、花やしきに行っても大概ベンチに座らされてソフトクリームを渡されて
父『いいか、ここから動くんじゃねぇぞ。待ってるんだぞ』
と言ってどこかに消えて行った。
姉と私はベンチに座り
姉『お父さん戻ってこないねぇ』
私『うん・・・』
アルバムにはベンチで大仏のように座っている写真ばかりだったのは、そういう理由だ。
母いわく『全く子どもほったらかして馬券買うのに夢中になっちゃって、よく人さらいに合わなかったと思うよ。昔だから良かったものの、今なら絶対さらわれてるね。ガッハッハ』
ってオイオイ笑ってる場合かよ。
確かに6人産んでるしねぇ。2人くらいいなくなっても、また補充すればいいくらいの緊張感のない親だったんでしょうね。
少子化の現代で、ましてや一人っ子なんて言ったらもう、何とか無事に育てたいと親は必死ですからね。
貧乏人の子だくさんと言いますが、痛し痒しというとこですね。

虫好きな女の子でした

動物&昆虫

女の子は基本的に虫嫌いですよね。
私は五人姉妹で姉も妹も大の虫嫌い。三女と五女にいたっては小さな蛾が服に付いただけでも気を失いそうになるくらい苦手です。
次女の私は変わり者で、虫や生き物全般に何でも好きでした。
夏休みになると両親は宮城の田舎にドサッと子ども達を連れていき、ばぁちゃんに子育て丸投げしていました。
夏休みが終わる頃に迎えに来て東京に連れて帰るという感じでした。
現代の子どもたちはお金を払って『カブト虫捕り放題』に参加しなくちゃいけないけど、田舎に行くと無料で朝から晩まで捕り放題ですからねぇ、夢中になって虫を追いかけ回したものです。
父の実家での出来事。ある日、部屋の隅に置いておいた私の宝の箱(お菓子の箱)ばぁちゃんが何気なく開けてみました。
ばぁちゃん『うぎゃ~!!!まげたなぁ~!!こいづ誰のだぁ!!』

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箱の中身は大量の芋虫。日野日出志さんの漫画の1カットを想像してください。
騒ぎに気付いた私は、何事かと思い部屋に行ってみました。
ばぁちゃんは凄い剣幕で怒っています。
ばぁちゃん『おらやぁ~、きもつわるいことやぁ~』
私『あっ!それ私の箱・・・』
ばぁちゃん『おめぇか!なすてこんなもの集めんの!!捨てこ!!』
ガ~ン
私『せっかく集めたのに・・』
ばぁちゃん『何かたってんの!誰がこんなもの集めるんでがす。すててこ!!』
私『東京では捕まえられない大きい黄色いやつとか、珍しい芋虫をたくさん捕まえたのに・・・東京に持って帰って育てようと思ったのに』
長女『えぇ~!!こんな気持ち悪いの持って帰るつもりだったの?』
三女『やめてよぉ~。絶対反対!!』
みんなからブーイングの嵐でした。仕方なくうなだれながら芋虫を捨てに行ってきました。
私『川の向こうの危険なところにいたやつも命がけて捕まえたのに』
ブツブツいいながら帰してきました。
当時は素手で平気で捕まえられたけど、今はさすがに無理ですね。でも相変わらず虫は大好きですよ。庭のジャスミンの木で毎年生まれる巨大な芋虫も駆除したりしないで、つついたりして面白がっています。
あっ、でも花や木を痛める害虫はノーサンキューなのでカメムシなんかバンバンやっつけますけどね。
東京では珍しい巨大な蛾や巨大なカマキリが現れると大興奮で息子を呼んで見せてあげて写真を撮ります。
私の夢は虫や野鳥が集まる楽園のような庭。息子は賛成してくれていますが、娘は大の虫嫌いなので大反対です。
もうすぐ啓蟄が来ますから虫が出て来る季節になります。娘の悲鳴と私の歓喜の声が今年もまた杉並の住宅街に響きわたることでしょう。


アニメーターはつらいよ23

アニメ

アニメーション学校の卒業生がスタジオに入ってくるが、挫折してやめていく子も多かった。
想像していたアニメの世界と現場があまりにも違くて裏切られたと思う子もいたし、想像以上にお金にならないくて生活できないという理由でやめた子もいた。
『アニメーションは他人の描いた絵をそっくりに真似して描けばいいことなんだからオリジナリティとかいらないんだよ』
『作業速度が大事。枚数をこなしてくれないと戦力にならないから』
一枚一枚を丁寧に描いている新人君たちは社長に言われるたびに戸惑っていた。

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『石にかじりついても人より多くの枚数を描くことしか、人より上手くなる方法はない』
と、東映の偉い人も言っていたらしい。
社長『イラスト描いてるわけじゃないんだから、そんなに丁寧に描かなくていいんだよ!とにかく早く量を描かないと』
新人『でも・・・作品のクオリティが・・・・』
社長『はぁ?テレビアニメだよ?こんなの一瞬なんだからわかりゃしないよ!!まゆみちゃんは一ヶ月に1500枚描くだろ。君は200枚しか描いてないんだよ。経験量がこんなに開いてしまうんだよ』
丁寧に仕事をして怒られるというのもどうかと思うけど、私は経験量も作品のクオリティも頭になかった。量を描かないと一枚100円の出来高制のアニメ界では死活問題なのだ。
漫画家になりたくて入ったアニメーション界だったけど、いつの間にか漫画家になる夢は自然消滅していた。
きっと心の片隅で自分には才能がないと本当は分かっていたのだ。アニメの仕事をして、人の絵の真似であっても絵を描いてお金が貰えるということに満足している自分がいた。
アニメが大好きで業界に入ってきて失望するのは気の毒だけど、私くらいの不純な動機の方が長続きするのかもしれませんね。

17才のヨーロッパの旅4

旅&おでかけ

パリでは思い切り風邪をひきました。
1月のヨーロッパは滅茶苦茶寒くて、バスタブにお湯を張って頑張って暖まってみましたが、無駄な抵抗でした。
頭が痛くなり、熱も出てきたため、夜のフリーの時間はホテルで寝ているという悲しいものになりました。
ほかのおばちゃんたちはオプションのブランドショップツアーに行ってたけど、私はブランドには興味がないのでその点は良かったです。
姉はというと風邪の私を残して、筒井のお姉さんたちとパリの夜の街を満喫していたようでした。
ガンガンする頭を抱えてベットで寝ていると下の階の方で『ドンドン』というすごい音がしています。
改装中のホテルだったので
『こんな時間まで工事しているんだ・・・』
と思っていましたが↓

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『ガンガンドンドン』という音は続いています。
しばらくして私の部屋のドアがノックされて
姉『お~い!!まゆみ~開けてくれ~!!』
ヨタヨタしながらドアを開けると姉が帰って来ていました。
私『こんな時間なのにまだ工事してるみたいだね』
姉『何で?』
私『だって下の方ですごい音がしてたよ』
姉『それ、私だよ』
私『私だよって・・何してたの?』
姉『自分の部屋だと思ってドアをドンドン叩いてたんだよ。お前が出て来ないしさ、変だなぁと思って、こっちの階に来てみたらここの部屋だった。階を間違えてた。ガッハッハ!!』
私『その部屋の人びっくりしたんじゃないの?』
姉『出て来ないし誰もいなかったんだよ。あっいけねっ』
私『何?』
姉『お前にケーキとコーラを買って来たんだ。下の階のドアの前に置いたままだった』
姉は慌てて下に戻って行った。
しばらくして戻って来た姉
姉『ごめ~ん。なくなってた』
私『えぇ~!!私のケーキとコーラ・・・・』
パリの一番の思い出は風邪と紛失したケーキの恨みなのでした。

MADE IN 足立19

連載物語 MADE IN 足立

母『お豆腐買って来て~!!』
長女『は~い!!』
姉はお調子者でちゃっかりしていた。調子良く母から鍋とお金を渡されると、表で遊んでいた私にそれを押しつけた。
長女『まゆみ!!豆腐屋に行って来い!!』
私『やだ!!お姉ちゃんが頼まれたんじゃん』
長女『うるさい、お前が行って来い!!!』
無理矢理に鍋とお金を渡すと遊びに行ってしまった。
仕方なく渋々豆腐屋に向かって歩き始める私・・・

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私『お豆腐と油揚げ下さい』
親父『まゆみちゃん、いつも偉いね』
私『えへへへ』
鍋を抱えて機嫌良く帰って来る私を姉は玄関で待ちかまえている。
長女『よこしな!!』
私『やだ!!私が行って来たんだもん!』
姉と私の押し問答。そして、鍋から油揚げがパラリとドブに落ちる。
長女・私『あぁ~!!!』
指でつまんでドブから引き上げる私。
長女『お前のせいだ!私、し~らない!』
逃げる姉。私、油揚げを手に茫然。裏庭に周り取りあえず油揚げを洗ってみる。
そして夕飯を食べる面々ー
みそ汁に手をつけない私と姉。
母『あれ?何でみそ汁食べないの?』
私『何となく食べたくないの・・・・』
長女『私も・・・』
父『今日のみそ汁なんか違うな』
私・長女『ドキン』
父『いつもより上手いぞ。お前たちも食え食え』
母『いつもと一緒だよ』
苦笑いの私と姉でした・・・
                つづくっ!!

アニメーターはつらいよ22

アニメ

アニメーターになって半年もすると、だいたいの仕事のやり方を理解することができました。
『綺麗な線は七難隠すって言われてるんだよ。とにかく綺麗な線で絵を描いて』
と社長に言われていて、動きが少々ぎこちなくても綺麗に線をひくのが得意だったので、大夫ごまかせました。
要領よく仕事をしていた私は5枚の仕事に3日もかかっていたのが嘘のように、月に千枚くらいの仕事をこなしていました。
日本アニメーション、サンライズ、葦プロ、東映と全く違うジャンルの絵柄を苦もなく描いていましたが、ただ、やっぱり苦手なのがロボットもの。
『サンライズの新しいシリーズ、これね!!』
社長から渡されたキャラクター表
『何?このアフロヘアの変なキャラ』
『イデオンだって』
『イデオン?何かタイトルも変ですね』↓

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今はCGという強い味方がいますが、当時は本当に人間が手で一枚一枚描いていたんですよ。
そりゃ男の子はロボットが好きだから何となく形や雰囲気を理解できるでしょうが、私なんざぁ全く興味もないし、その線の多さにうんざりしていました。
だいたい、どうして金属の固まりのこの絵で走ったり腕が曲がったりするわけよ。
『一瞬だから気にするな、ちょっとくらい変でも分からないんだから』
と言われても謎は深まるばかりでした。
私が描いたロボットのカットは号泣したくなるくらい変だったと思います。サンライズみなさんごめんなちゃい。
丁度この昭和54年頃、サンライズのガンダムの成功で、アニメを目指す若者が増えてアニメは憧れの職業になったらしいです。
専門学校では爆発的に生徒が増えて、その専門学校を卒業した生徒たちが次々にスタジオ入ってくることになりました。
んなわけで『未経験者可』という無謀な求人募集は私が最後となりました。
これ以降はアニメ業界ではアニメ学校に募集を出すようになり、卒業生がそれぞれのスタジオに振り分けられていくようになったわけです。

東京アニメセンターに行ってちょ!!

アニメ

2月1日(木)18時~秋葉原の東京アニメセンターで声優アイドルさん『ぷちでぃーば』の公開ラジオが行われます。
『ぷちでぃーばの!ミッションリターンズVO2』ということで、ここでは私の書いた短いラジオドラマが生放送しますので、是非東京アニメセンターまでお越し下さい。
当日は私も出来れば行ってみたいと思っています。本当はこの日は娘の合格発表の日なのです。
娘は『私も行きた~い』と言っていますが、合格なら一緒に見に行く、不合格なら一次試験のために自宅で勉強です。
当日来られない方はインターネットラジオか、ぷちでぃーばのHPから聞けるそうです。(と書いている私も聴き方があまりよく分かっていません)

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また、2月17日(土)16時~同じく秋葉原東京アニメセンターにて『ぷちでいーばの!ミッションリターンズVO3』が行われます。
こちらも生放送で彼女たちを見ることが出来ますので、是非お立ち寄り下さい。
詳しいことは『Hyper Voice Managements』の
HPをチェックしてみて下さい。
自分で言うのも何なんですけど、結構面白い話に仕上がったと思っています。また、ぷちでぃーばの面々が可愛いし、上手いし、配役がぴったりなんですよ。是非是非聞いてみて下さい。

17才のヨーロッパの旅3

旅&おでかけ

謎のおじいさんに貰ったコインが関係あるかどうかは分かりませんが、ヨーロッパに行くことになった17才の私。
不思議な出来事はもう一つあって、このツアーに私たちと同じように姉妹で来ていた方がいました。年齢もあまり変わらなかったので、すっかり仲良くなって、私と姉の滅茶苦茶な旅に付き合わせてしまいました。
この妹さんがアニメーターだったのです。(この6ケ月後、何の因果か私もアニメーターになってしまうのですが)私はアニメーターの意味がわからなくて漫画家と同じだと思い
『じゃ記念に絵を描いて下さい。一生大切な宝物にします』
と無理なお願いをした。するとそのお姉さんはスラスラと『リスのバナー』の絵を描いてくれました。
そうです。彼女は日本アニメーションの筒井百々子さんというアニメーターさんで当時テレビで放送していたリスのバナーを描いていたのでした。↓

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当時漫画家を目指していた私は
『私もこんなに絵が上手だったらすぐに漫画家になれるのに・・・』
と言うと
『実はアニメーターをしてるけど、本当は私、漫画家になりたいの』
と筒井さんは言っていました。
その後、しばらくして筒井さんが漫画家になったというのを知って何だか自分のことのように嬉しかったのを覚えています。
現在どうなさっているのか分かりませんが、ヨーロッパツアーで絵を描いてあげた、アニメーターと漫画家の違いも分からない17才の女の子が、まさかその後アニメーターになって28年も絵を描き続けている何て知ったら、さぞかし驚かれるでしょうね。
ルーブル美術館では、学のない私たち姉妹は何を見てもチンプンカンプンでした。しかし、筒井姉妹はそりゃもう感動しまくって穴の開くほど作品に見入っていました。
サモトラケのニケのレプリカを買われて、壊れたら嫌だからとトランクの中の有りとあらゆる布を巻いて飛行機の中で抱きしめていました。
帰りの飛行機は北回りで乗り継ぎのロシアは雪で彼女は命がけの表情でレプリカを抱きしめて飛行場を歩いていたのが印象的でした。

MADE IN 足立18

連載物語 MADE IN 足立

引っ越して来た当初は、うちの前は線路で、大袈裟に言うと真っ直ぐのびた線路の向こうの五反野まで見通せるほどだった。
昭和43年にその線路の西新井~五反野間は高架にする工事がはじまった。
その建設のためにうちから一件隣りにK建設のプレハブが建った。
そこから父のバブルがはじまった。
『K建設の仕事を請け負うことになった。俺、会社起こすぞ。人手も必要だな田舎から叔父さんや甥っ子の恒吉なんかも出稼ぎに来て貰おう』
父は本当に会社を立ち上げた。高度成長期真っ只中の昭和40年代と言えば、大きな仕事が次々に入り笑いが止まらない時代だった↓

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我が家の隣りのF莊というアパートの1階に事務所を構えた父。
その頃母は、四女を生んですぐ5人目を妊娠してお腹が大きかった。
母は安産だったけど、つわりがひどくで妊娠するとほとんど寝込んでいた。
そのため私は幼いながらも、事務所でいつも電話番をしていた。
私『○○建設と○○建設から電話があったよ』
父『おう、そうか。お母ちゃんどうだ?』
私『吐いてるよ。気持ち悪いってさ』
父『そうか』
私『ねぇお父さん、これって何?』
私はスチール製の戸棚を指差した。
父『そりゃ、棚だろ』
私『違うよ。中に入ってる緑色のやつだよ』
父『何だ、これか。こりゃダイナマイトだよ』
私『ひぇ~ダイナマイト!!こんなところに置いといていいの?』
父『ちゃんと鍵してんだ、大丈夫に決まってんだろ。これでな、日光にある大きい橋をブッ壊すんだ。すげぇだろ』
自信満々に答えた父だが、そういう問題じゃないだろ。もしも火事でも起こしていたら大惨事になっているところだった。
今じゃ考えられないけれど、あの頃はそういう管理も甘かったんでしょうね。
スチール製戸棚でガラス扉の中の山積みのダイナマイト丸見えでしたからねぇ。大きな橋じゃなくて、梅島をブッ壊さなくて本当によかったよ。
              つづくっ!!

アニメーターはつらいよ21

アニメ

『才能あるアニメーターは砂浜でダイヤモンドを探すよりも難しい』
これはディズニーの言葉。
才能のないまがい者アニメーターの私は新聞の求人広告で簡単にみつかったけどね。
ディズニーは彼自身がアニメーター出身だから才能に対して特にこだわって、徹底的に質にもこだわっていたらしい。
日本のアニメが駄目になったのは単価の安さと絵描きを大事にしてこなかったせいだと思う。
単価の安さは手塚先生のせいという話で、この業界で手塚先生は評判が悪い↓

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1本5万枚とか使っていた時代に、手塚先生は
『アニメなんて絵を動かすだけだ簡単だ。僕が描けば1本くらいすぐにできるよ』
と言っていたらしい。
アニメの基礎技術を全く知らずに虫プロを作り、素人集団なので、きついスケジュールにスタッフは死人がでるほど重労働せざるえなかったそうだ。
虫プロの『ゆき』という作品をやった時はノイローゼになりそうになった。
馬が何頭も走っていて、主人公のゆきも走っているのだが、その主人公があまり特徴のないのっぺりとした顔で、原画の段階で顔にバラつきがあるのに、よりによって中割が無駄に多くて何度描いても顔がバラついてしまう。
でも手塚さんが細かいことにこだわっているということで妥協は無し!
結局1カットやるのにえらい時間がかかってしまった。
最初はこの調子でやっていたが、スケジュールが後半で大変なことになり、最後の方はとにかく描け描けモードで妥協という言葉は宇宙の彼方へ消えて行った。
でもまぁ、アニメーションていつもそうなんだよね。原画や動画の人間が散々振り回されて『いい大人のくせに毎度毎度こうなるって分かってんのに、何でスケジュールが読めないんだよ、お前ら!!』という心の叫びを残して、また1本作品が完成されるのでした。



アドマチック天国の足立区梅島

連載物語 MADE IN 足立

昨日放送されたアドマチック見ましたか?
足立区梅島ですよ~!!感激しました。
自分が生まれ育った町が特集されるのは不思議な感じがしますね。
今住んでいる阿佐ヶ谷はオシャレな町なので、テレビでよく紹介されるけど、足立区のそれも梅島を限定してなんて嘘みたいですよ。
私がブログの中で書いている『MADE IN 足立』はまさにあそこが舞台ですから。興味のある方は読んでみて下さい。
実はこの物語は函館の映画祭で最終選考まで残ったけど落選してしまったもので、諦めきれずに映像化したくて北野オフィスにも送ったりしました。でもなしのつぶてでした。(当然ですけど)
映像化に興味のある勇気のある制作会社はドシドシご連絡下さ~い。

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生まれてから23才まで足立区に住み、23才から現在まで阿佐ヶ谷で暮らしています。
たまたまアニメーターの友人が阿佐ヶ谷に住んでいて、はじめて来た時は感動しましたね。丁度秋の紅葉のころで、駅前やけやき通りなんてパリみたいで落ち着いていて大人の街だと思いました。
カルチャーショックというか、電車に乗ってもアル中のおっちゃんは乗ってない。東武線とか日比谷線とか昼間でも必ずアル中のおっちゃんが乗っていて絡まれるんですよ。
街をステテコ姿で歩くおっちゃん、ネグリジェみたいな格好でカーラー巻いて買い物に来るおばちゃんとか、阿佐ヶ谷にはいませんからねぇ。
180度違うって言い方があるけど本当にその通り、雑種犬とアイリッシュ・ウォーター・スパニエル、トラネコとペルシャ猫の違い?なんだそりゃ。
異国という感じで日本の東京の中で二つの国を楽しめたという意味ではこの二つの街で暮らして良かったなぁとしみじみ感じています。
ビバ!!足立区梅島!!
   

17才のヨーロッパの旅2

旅&おでかけ

ギリシャ、ローマ、パリの旅というツアーに参加した私と姉。
今ならあれこれ考えて不安になってしまうけど、若いというのは恐ろしいことです。全く英語もフランス語も話せないのに全然気にもせず、不安も恐怖もなく海外に行けることを喜んでいました。
足立区のアホな姉妹の旅なのでひどいもんでした。
ブラブラとあてもなくローマの町を歩き回ったあげく、自分たちがどこにいるのか全く分からなくなり、地図を広げるもチンプンカンプン。西も東も北も南も全く分かりません。
道行くイタリア人のお姉さんに全部日本語で
私『私たちは~道がわかりませ~ん。ここはどこですか?』

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イタリアの人『?』
私『この~地図でいうと~ここはどこですか~』
イタリアの人『?』
姉『お前の言い方が悪いんだよ。(すごいジェスチャーで)私たち~とても困ってま~す。この地図でいうと~ここは~どの辺ですかぁ~』
イタリアの人『○×▽○×▽××』
姉『何か言ってるけど分かんないぞ』
私『この~ホテルに~帰りたいので~す!!』
自分たちの宿泊しているホテルのメモを見せると、イタリアの人はニコニコしながら地図を指差し何か説明してくれました。
姉『あっちの方を指差してしるから、取りあえずあっちに行けばいいんじゃないか』
私『行ってみよう、行ってみよう。行けばきっとどうにかなるよ。お姉さんサンキューサンキュー!』
イタリアの人『(苦笑い)』
私たちはこの調子で道行くイタリアの人に日本語で道を聞き何とかホテルにたどりつくことができました。

MADE IN 足立17

連載物語 MADE IN 足立

父は男の子が産まれることを強く望んでいた。
姉は第一子なので可愛がっていたが、3年後に私が生まれ、また3年後に妹が生まれ、立て続けに3人女の子でがっかりしていた。
そして3年後・・・
ー昭和42年ー
母はまたまた産気づいていた。家の中ではお産婆さんや親戚の叔母ちゃんたちが出産の時を待っていた。
子どもは外に出ているように言われて、1年生の私は庭で妹をあやしながら赤ちゃんが生まれるのを待っていた。

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三女『もう生まれる?』
私『男だったらいいね』
長女『うん。お父さん、男じゃないと嫌だって、いつもいつも言ってるもんね』
家の中で母がいきむ声が聞こえる。
『オギャ~!!』
家の中から元気な産声が、そして叔母ちゃんたちの声が・・
『また、おんな~!!』
4人目も女でした。四姉妹になりました。ここで止まれば足立区の若草物語になりますが、さて、どうなるでしょうか。
母が男の子を産めるかは後半のお楽しみ。
やっと家に入れて貰えると、産着を着た四女は母のおっぱいを飲んでいました。
そして、その傍らで肩を落としてガッカリしている父の姿。
三女『かわいい!!赤ちゃん!!』
私『名前はどうするの?』
母『お父ちゃんが付けてくれるからね。どうせまた女優の名前だと思うけどね』
そうなんです。父は娘の名前をつける時、その時一番旬の女優の名前をつけていたのです。これはだいぶ大人になってから知らされました。
ちなみに私のまゆみは女優の清水まゆみさんから頂きました。
というわけで四女も某オイロケ女優さんから名前を頂きました。





アニメーターはつらいよ20

アニメ

叱られるためにサンライズのスタジオに行った私。
清水寺の舞台どころじゃなく、東京タワーのてっぺんから飛び降りるような気持ちでスタジオに入って行った。
原画か動画チェックの人に
『こっちに来て』
と手招きされてその方の机の横で直立不動・・・。
『このカットなんだけどさぁ。あなたがやったんだよね』
『はい。私が昨日やったカットです』
それは音波のような波が画面いっぱいに流れるというもの。
『このカットのエフェクトの送りなんだけど、ひどいよ。君さぁリピートの仕方って分かってる?』↓

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私『何度も社長にやり方の説明を聞いたんですけど、今いち意味が分からなくて・・・』
サ『(呆れて)あのさ、君、何年アニメーターやってんの?』
私『二ケ月くらい・・・です』
スタジオ内は爆笑の渦でした。
私は笑われている意味が分からずキョトンとしていました。
サ『二ケ月じゃ仕方ないや。この絵はさ、こうなって、ここがこうなるから、こうなるわけよ』
丁寧に説明するサンライズの方。社長の説明ではチンプンカンプンでしたが、サンライズのその方の説明は簡単に理解できました。
私『すごい!すごく分かりやすいです!こんな単純なことだったんですね!やっと意味が分かりました!』
スタジオ内、失笑。
サ『仕事を覚えるまでは大変だけど、まぁ頑張ってよ』
最後は励まして下さいました。なんという方か分かりませんが、その節は本当にありがとうございました。
資料によると、この頃のサンライズは金も時間もなく、作画もメロメロで最悪の状態で監督は頭を抱えていたらしいです。
メロメロの原因の一つは、多分私だったのかもしれません。

17才のヨーロッパの旅

旅&おでかけ

不思議な出来事というものはあるもので、コンビニでバイトをしていた17才頃。
その日は大雨で客が全然来なくて一人でカウンターの中でボンヤリしていました。
一人の老人が入って来て何か買ってレジで会計をしました。
老人は何か思い出したように財布の中から外国のコインを一つ取り出して
『これを持っているときっといいことがあるよ。これをあなたにあげましょう』
と言ってコインを一枚私にくれた。
物珍しくて嬉しくてニコニコしながらお礼を言うと老人は雨の中に消えて行った。
そしてその後すぐ事件が↓

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食事を終えた店長が店に戻って来て
『いや~参ったよ。これ当たっちゃったよ。俺、店があるから行けないんだよね。まゆみちゃん行く?』
店長が手にしていたのは一枚の封筒。記憶は定かではないのですが、多分松本零士先生の映画か何かの懸賞のヨーロッパの旅行だったと思います。
『でも当選じゃないんだよ。ご優待だからお金を払うんだよね。こんなのいらないね』
ゴミ箱に捨てようとしている店長からその封筒を奪い取り
『行きます!私行きます!!』
言ってしまった。当時から本当に見切り発車な子でした。
家に帰って母に
私『お母さん私ヨーロッパに行くから』
母『お前熱でもあるんじゃないの?何言ってんの?』
私『店長が優待券くれた』
母『じゃタダじゃないんじゃないお金はどうするの?』
私『どうにかなるってバイトしてるんだから』
母『まさか一人で?』
私『だって団体ツアーだよ。一人でも平気だよ』
母『危ないよ!絶対駄目!そんなところに行ったら殺される!』
30年くらい前の話ですからねぇ。外国旅行なんて空港でバンザーイとかやってた時代。17才の女の子がいくらツアーとは言え親は反対しますよね。
それでも親を説得して姉が付いて行くという条件で行かせてもらうことになりました。
優待で約20万くらいだったから今なら50万~60万くらい払ったと思います。1ドル確か330円くらいでした。
                  つづくっ!!
        

今頃ブロッコリーの蕾が・・・

農業&ガーデニング

冬は農業・酪農関係の企画がないのでつまんないです。早く春になってほしい。
それでも庭のミモザの蕾は日に日に大きくなってきて、今頃なぜかブロッコリーの蕾が出てきました。
ジャスミンは5月に花が終わると、またすぐに花の蕾がつきます。雪の降るときでも必死に蕾は頑張っていてじっくり時間をかけて花を咲かせてくれます。
木下さんに頂いたアシタバの苗も4本とも育っていて、モルモットのボンちゃんに買わないですむくらい沢山収穫できるといいんだけど。
アシタバは高いので何とか他の野菜で誤魔化そうと思って、今日も八百屋さんで安いパセリをごっそり買ってきました。前のモルモットはレタスやほうれん草など何でも食べてくれたのですが、ボンちゃんは偏食なのでほぼアシタバしか食べません。↓

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それでもパセリも少し好きです。しかし、最近はパセリも高くて、でも今日はとっても安かったので助かりました。
それにしてもアシタバも結構くせのある食べ物で、この間はじめて人間達が食べましたが私も子どもたちも苦手です。パセリも生でバクバク食べるというのも不思議です。すごい勢いでパセリがガバガバ口の中に消えていきます。そしてお腹がいっぱいになって寝ちゃいました。
なんだか娘が受験なので落ち着きませんねぇ。親は心配していますが、当の本人は余裕綽々です。
携帯をいじる→セブンティーンを見る→携帯をいじる→お菓子を食べる→松山ケンイチの写真集を口を開けて見ている→携帯いじる→弟のゲームをぶんどる→口を開けて寝ている→携帯をいじる→少し勉強→携帯をいじる→セブンティーンを見るに戻る
こんな感じで黙って様子を見ていると、参考書を広げているのはたま~にです。来週には推薦の面接もあるし、お願いだからしっかりやってくれ!!頼む娘!!
                   

MADE IN 足立16

連載物語 MADE IN 足立

庭で飼っていた軍鶏の天敵は猫だけではない。
ねずみもエサを狙ってくるし、時には卵を食べてしまったりもする。
鳩やスズメもエサを狙って飛んで来る。
生活に余裕のあるご婦人が庭の野鳥にエサをあげたりしているが、我が家は野鳥のレストランではない。
昔話の慈悲深いお爺さんなら
『みんなで仲良くお食べ』
とか言うけど、父は
『お前ら好き勝手してると終いに食うぞ!!』
と鳥たちを脅していた↓

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そんなある日、堪りかねた父は大きなネットを鶏小屋の前に張ることにした。(以前にも書きましたが)
すると鳥はあまり目が良くないのか、結構これに引っ掛かっているのです。
『おぅまゆみ。ネットに引っ掛かった奴を取って来い!!』
と父に言われると私ははしごに登ってネットに引っ掛かっている死んだ鳥たちを父のところに持って行った。
父はそれを庭で七輪で焼いて酒の肴にして食べていた。
姉や妹たちは『気持ち悪い!!』と言って近くに寄らなかったけど、私は興味津々で見ていた。
『それにしても食うとこねぇなぁ。お前も食うか?』
と父に勧められたが遠慮した。
コウモリみたいに羽根を広げている焦げたスズメを食べる気にはならなかった。
そう言えば怖い者知らずの父が、この世でたった一つ苦手なものがあった。それは何と庭に出てくるねずみたち。
理由は知らないけど、マジで嫌いなのだ。そのエピソードは次回のお楽しみ。
             つづくっ!!



アニメーターはつらいよ19

アニメ

さて、何となくアニメーションの仕事が分かり始めた二ケ月目のこと。
1本の電話が鳴った。受話器を取ると怒った声で
『もしもしスタジオ○○さん。サンライズの○○ですけど』
私『いつもお世話になってます』
『今日上がって来たカット!○○さんいます?!』
私『えっと・・・私ですけど・・・』
『あなたが○○さん?あのさ、悪いけど今すぐ上井草のスタジオに来てくれる!』
有無も言わせず電話は切れた。
これはすごくマズイ状況ではないでしょうか・・・・↓

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社長『どうした?』
私『サンライズが私にすぐ来いと・・・すごく怒ってました』
社長『いつか来ると思った』
私『行かないと駄目ですか?』
社長『行ってきなさい』
私『絶対ですか』
社長『(深く頷く)』
私『・・・わかりました・・・』
諦めて行くことになりました。
とぼとぼと西武線に乗り上井草に向かいました。
今は立派なビルを建てたそうですが、その頃のサンライズは一階が自転車屋の小さなビルにありました。
ビルを見上げた私は、ため息が止まりません。
『きっとすごく怒られるんだ。あんまりにも絵が下手だからかな?何が悪かったんだろう』
もう、死刑台に向かうみたいに階段を上がりドアをノックした。
『どうぞ!!』
中に入ると狭いフロアに机が並んでいる。部屋の一角には畳が敷かれて仮眠している人もいる。
私『あのぅ・・・先ほどお電話で呼ばれた○○ですけど・・』
たぶん原画か動画チェックの人が『こっちに来て』と言った。
            つづくっ!!

MADE IN 足立15

連載物語 MADE IN 足立

いくら食料難で肉が食いたいと言っても、うさぎや蛇や犬猫と何でも食っていた父。東京に出てきて生活が良くなっても肉は大好きで肉ばっかり食っていたから糖尿病にもなったんだと思う。
そんな父とは逆に母も私も姉妹も全員肉が苦手だった。動物たちの恨みがそうさせたのか、家族の一生分の肉を父が一人で食べて帳尻があったのかもしれない。

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東京に出て来て食べ物に困ってなくても、やっぱり父は何でも食った。大きなタライが土間に置いてあったので中をのぞくと、立派な鯉が悠々と泳いでいた。生き物が大好きで何でも飼うのが大好きな私は大喜び。
『やった!!こんなの飼うのが夢だったんだ。一度でいいから飼ってみたかったんだよ』
ところが夕方、土間のタライは片付けられていた。
『お母さん。タライの鯉は?』
『お膳の上だよ』
『え・・・えぇ~!!』
確かに夕飯のおかずになっていました。
学校の裏門で売っていたカラーヒヨコ。あれもどうしても欲しくてお小遣いをはたいて買ってきた。それも何羽も。
庭で大きく育てて喜んでいた私。
ある日のこと、鶏の悲鳴が!!
驚いて庭に行ってみると鶏の首をすっぱりと切って血抜きをしている父がいた。
『お父さん・・それ・・』
『こんなの卵を生まねぇんだから食ってやった方がいいんだよ』
現代の子どもならショックで号泣一生トラウマ間違いなし!だと思うけど、私はちょっと変わった子だったので、父の言うことに『なるほど』と関心して瞬きもしないで血抜きの様子を見ていました。
それは夕飯の唐揚げになって食卓に出てきました。
                 つづくっ!!

アニメーターはつらいよ18

アニメ

男しかいないスタジオに女一人の私だけど、みんなマイペースで空気のように仕事をしているので気が楽だった。
若い絵描きの中でもYさんは私のお祖父ちゃんと同世代。Mさんは父と同世代くらいでした。仕事も優しく教えてくれて、孫のように可愛がってもらいました。
『コーヒー飲みに行こうか』と言って、よくご馳走してもらいました。
Mさん『この杉並はアニメの下請けスタジオが多いんだよ』
Yさん『東京ムービー、サンライズ、マッドハウス、葦プロ、ムクオスタジオ、オープロとかね』
Mさん『石を投げるとアニメーターに当たるって言われるくらいだからね』
足立区から通っていた私には、下井草は仕事場だったけど、まさかそれから7年後、杉並の住人になるとは夢にも思っていなかった。

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臭い台所も朝は掃除して、空気が汚いので寒くて文句を言われても無理矢理に換気していました。
寝袋の男の子たちが虫のように床に転がっているのにも慣れた。
透視台のライトをつけると中に入っている巨大化とたゴキブリの影が映る。最初は驚いたけど、これも慣れた。
また、ある日は
A『わぁ!!天井から虫が落ちてきた!!』
みんな天井を見る。
B『虫が湧いてる』
C『この虫何だ?』
D『見たことない虫ですね』
図鑑にも出ていないような変な虫が天井から落ちてくることもあったけど、慣れというのは恐ろしいもので一ケ月もするとすっかりこの環境に慣れた。

声優さんはすごいね!!

アニメ

打ち合わせのためにハイパーボイスマネージメントという事務所に伺いました。
『ぷちでぃーば』という声優アイドルグループの女の子たちが簡単な本読みをしたのだけど、声優ボイストレーニングスクールの卒業生で新人さんだと思っていました。
ところが、みんな若くて可愛くて芝居も上手で本当に関心しました。

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『ぷちでぃーば』のCD付きの本も雷鳥社から出ています。
公開ラジオなんかもやっているようなので応援してあげて下さいね。
詳しいことは『ぷちでぃーば』のHPかハイパーボイスマネージメントのHPをチェックしてみて下さい。
アニメーション歴は長い私ですが、声優さんやアニメ作品のことには疎くて、ついていけなくて駄目ですね。
制作会社にいた頃は録音スタジオに行きましたが、もう20年くらい前の話。
富山敬さんがお元気な頃です。確かあさりちゃんのパパの役をやっていて、サインをしていただいた記憶があります。
ペンも紙も持ち合わせていなかった私のために、わざわざデスクに行ってペンと紙を持って来て下さって、本当に親切で優しい方でした。
亡くなったと知った時は、まだとてもお若かったし、とってもショックでした。

MADE IN 足立14

連載物語 MADE IN 足立

前回は犬を食った父の話でしたが、今回は猫の話。
結婚当初、父と母は田舎に住んでいました。その頃の話。
父『佐々木のおんつぁんとこの猫捕りの仕掛けあったべ』
母『佐々木のおんつぁんの?』
父『佐々木のおんつぁんが趣味で小鳥飼ってっぺっちゃ。小鳥を猫に捕られるからって猫を捕獲する仕掛け置いてんのしゃ』
母『捕獲すんのすか?』
父『猫が捕まるとおらのとこさ持ってくんのっしゃ。猫っこ捕れたぞ、ほれ食えってよ』
母『おら、やだでは』
父『裏の武史も猫っこは嫌いでよ。いたずらすたんだ』↓

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父の友人が5人鍋を囲んでいる。
友人1『にぐなんて滅多に食えねぇがらなぁ』
武史『うさぎのにぐならいいけど、いぐらにぐ食いてぇって言っても、おら猫だけはだめだっちゃ』
友人2『武史は昔から猫が嫌いだからなぁ』
父『まぁ遠慮すねぇで食えでば』
ガツガツ食べる5人。
腹一杯になって満足の5人。
父『たまに食うとうさぎもうまいべ』
武史『あぁうまがった』
父『武史・・・』
武史『え?』
父『おめぇ今晩猫の夢見るぞ』
武史『(真っ青になって)これ・・うさぎだべ?』
父『ほで、がいん』
武史『おだすなよ、この!』
父『猫でがす』
武史『(真っ赤になって怒って)おらぁ猫と知ってたら食わなかったっちゃ!』
武史は凄い剣幕で怒って家に帰って寝込んだそうです。
              つづくっ!!

アニメーターはつらいよ17

アニメ

漫画家志望でアニメには全く興味がなかったし、仕事の内容も何も知らずにアニメ界に入った私。
まさか一生の仕事になるなんて、この時は思いもしないで必死に仕事を覚えていた。
一番最初にやったカットがサンライズの『タンサー5』でした。
たった5枚のカットでしたが、小さいキャラでほんの数ミリ頷くというもので、ベテランでも割るのが大変なんですから初めての私には地獄のような作業でした。

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その5枚のカットをやるのに3日かかりました。
1枚100円の仕事=5枚で500円なり=3日で500円
当時のバイトの時給が確か300円から400円くらいでしたから、もうほとんど、ただ働きという状況でした。
最初の1ケ月は3万円くらい働いたと思うけど、交通費が自腹だったので全額交通費に消えました。
自宅から通っていたから何とかなりましたが、先の見えない状況にそりゃもう不安で毎日眠れませんでした。
それでも、やはり好きな絵を描いてお金が貰えるという喜びを知ってしまった私は、心のどこかで
『こんな楽しい仕事をやめられない』
と感じていて、この仕事を何とか自分のものにしようと考えていたのかもしれません。
現在のアニメーターのように専門学校に行ってお金を払って勉強することを考えたら、仕事をしてお金をもらいながらアニメーションの一から十まで教えてもらえた私は本当に幸せだったのだと思います。

手を縫った思い出

未分類

うちの包丁は基本的によく切れない。
なぜなら研がないから。
だから洗い物をする時などは全然気を付けないし、ひどい時は刃の方を握っても切れないくらいで、本当に切れないのだ。
ある日のこと夕飯の支度をした後、洗い物をしていた。息子も帰って来る時間だしかなり慌てていた。
包丁を洗っている時、手が滑った。次の瞬間、右手の人差し指と親指の間に刃が当たった。
どうせ切れない包丁だからと何気なく手を見ると、バックリと切れていた。固まった・・・。
切れない包丁がなぜ?

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なんと前日の夜中、突然トマトが食べたくなったお父さんがあまりにも包丁が切れなかったため研いでいたのだ。
ゆえに軽く触っただけなのに私の手は思い切りきれいにバックリ切れていました。
とにかく手をタオルでグルグル巻きにして病院に走りました。出血多量で死んだらどうしようと心配したけど、病院では出血しているのに順番通りに待たされ手術するまで1時間以上待たされました。
3本も麻酔注射を打たれて手術したもらったけど、あと少し深く切っていたら筋を切ってした大手術になるところでしたよと先生に言われた。
手術の前に看護婦さんに『自宅で子どもたちが心配していると思うので電話してほしい』とお願いしていた。
さて、自宅では学校から帰ってきた息子が固まっていた。いつもなら家にいる私がいない。病院を探すためにあちこち書類を散らかし、血のついたタオルが散乱。何かとんでもない事件が起きたと勘違いして泣いていた。
しばらくして遅れて娘が帰宅。泣いている弟と部屋の中の惨状を見て、やはり事件だと思い泣きだした。
そこへ病院から電話
看護婦『○○病院ですけど、今お母さんが・・・』
娘『(号泣)お母さん、死んじゃったんですか!!』
看護婦『え??手術を』
娘『しゅ・・・手術!!(号泣)お母さ~ん』
看護婦『違う、違う。手を切っただけだから安心して』
娘『・・・』
私に似てそそっかしい子ども達です。
手術が済んで家に帰ると、子ども達はやっぱり泣いていました。よほど心細かったのでしょう。
それにしても利き手が使えないというのは不自由ですねぇ。包帯でグルグル巻きでしたが仕事はちゃんとしましたよ。たまたまNHKの幼児ものアニメでビリビリ線だったので誤魔化せました。



アニメーターはつらいよ16

アニメ

時間に対して真面目で几帳面な私にとってアニメータータイムというのは理解できなかった。
6時に起きて足立区から2時間半かけて下井草に9時到着。徹夜で誰かがいてくれればいいんだけど、誰もいないと鍵は社長しか持っていないので困った。
そういう時は泥棒のように1階のひさしを渡って窓を開けてスタジオに入ったことが何度もあった。いつか捕まるんじゃないかとハラハラしていた。
一人でFMラジオを聞きながら仕事をしていると、昼頃やっと社長やおじちゃん先輩が出社。
時計の針は午後に・・・し~ん

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そして、数時間後ー
『おはようございま~す(ぼそぼそっと)』
『おはよっす(ぼそっと)』
え~!!2時だよ!2時出社かよ!
無駄話をすることもなく黙々と仕事を始める絵描き達。
結局、全ての机が埋まったのは夕方だった。これがアニメータータイムなのだ。
私はというと夕方出社してくる絵描きを尻目に、自分の中で仕事は9時から5時と勝手に決めていたので5時きっかりに帰宅した。残した仕事は持ち帰り、家に帰ってやっていた。
家に帰ると決まって
母『どうなのその会社は?』
私『どうって』
母『会社の人はまともなの?』
私『う~ん。まともじゃない』
母『え~!!』
私『みんな午後になってボツボツスタジオに来て無言で働いてる。遅くまで仕事してて寝袋で寝ている人がいたり』
母『あんまり変な会社ならさっさとやめた方がいいよ』
私『散々自分が薦めたくせに、今さらやめるわけにはいかないでしょ』
私も先のことは分からなかった。とにかく3ケ月はやってみて、どうしようもなかったらやめようと思っていた。

MADE IN 足立13

連載物語 MADE IN 足立

父は椅子以外なら四本足のものは何でも食べると母が言っていた。
『戦後で肉なんか食えなかった時代だよ。お父ちゃん肉が大好きだろ、裏山に行ってうさぎだ蛇なんて捕ってきて犬や猫まで食ってたよ』
『犬・・猫・・・』私絶句ー
『思い出すねぇ。あの時は本当に心臓がとまるかと思ったよ』
それは新婚の父と母が田舎に住んでいた頃のお話。
ある日、庭の方でさかんに犬が吠えているので母が庭に出てみた。
すると一匹の犬がここ掘れワンワンと一生懸命土を掘っている。
『あの犬っこ、なぬすてんだが?』
母がしばらくその様子を見ていると、犬は突然何かに怯えるようにキャンキャンと逃げて行った。
犬は何を見て逃げて行ったのか気になった母は、犬の掘った穴をのぞいてみた。
するとそこにはとんでもないない物が!!↓

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『あおらや~まげたなぁや!なんだこいづは!』
穴をのぞいて見ると、びっくり仰天!大量の骨が埋まっていた。
『殺ずんずけんかもすんねぇちゃ。駐在さんを呼んでこねくてば・・』
駐在所の方へ歩いて行くと、反対方向から仕事から戻った父が歩いてくる。
父『ぬさ、どこにいぐのや!』
母『聞いてけろでば。おらいの庭に骨っこがワラワラと出てきたのっしゃ』
父『骨っこ?井戸の横だべか?』
母『んだ』
父『そいずは俺が食った犬の骨だでば』
母『おめぇ、おだずなよこの!すんずらんねぇ!』
・・・・残酷昔話でした。めでたしめでたし?
私が疑問だったのはいくら昔の話しでものら犬がそんなにうろうろしていたのかということ。
母いわく
『大きい声じゃ言えないけど飼い犬も食っちゃったんだよ。昔はさ、ペットと言っても首輪も鎖もつけていないから、いなくなっても分かんないだよ。こっちはハラハラしてたけどねぇ』
今だったら完全に逮捕されてるよ。
次回は猫篇です。お楽しみに!!
            つづくっ!!

アニメーターはつらいよ15

アニメ

アニメのことを全く知らずにアニメスタジオに入った私。
『これ、トレス台って言うの。下からライトで照らして絵を透かして描くから』
なんと恐ろしいことにトレス台の説明から手取り足取りという感じで丁寧に教えて頂きました。
『アニメって漫画家の人が描いているんだと思ってました』
『30分のテレビアニメ1本で作画枚数が6000枚から8000枚くらいあるんだよ。そんなの一人で書けるわけがないでしょ』
本当に何も知らない私でした。
*当時は6000~8000枚でしたが、現在は3500枚くらいに減 りました。

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『この透けて見える絵をきれいに描き写して、キャラクターの絵が変わらないように原画と原画の中の動きを入れてね』
これがアニメーションの動画の仕事でした。
この動画をセルに転写して彩色でセルに色を塗ってカメラで撮影するわけです。(今はデジタルなのでセル画はありません)
アニメーションは絵を動かすので漫画を描くのとは違う技術が必要だということでした。
制作会社はシリーズものや劇場ものを長期で1つの作品を手がけます。私が最初に入ったこのスタジオは下請け会社だったので、元請けの制作会社から動画の仕事を請け負っていた。
来る仕事拒まずで、飛び込みの仕事はしょ中で、ロボットも動物も美少女も何でも描けないと仕事にならない。
その頃描いていた作品は『タンサー5』『金髪のジェニー』『宇宙戦艦ヤマト』『ホセフィーナ』『赤毛のアン』『サイボーグ009』『ルパンⅢ世』『ゴーディアン』『猿飛佐助』『セレンビューティ』『ブルーノア』『ゼンダマン』『ニルスの不思議な旅』『青い鳥』『がんばれゴンベ』でした。
こう見ただけでもバラエティにとんでますよね。得意不得意なんて言ってられませんでした。

MADE IN 足立12

連載物語 MADE IN 足立

父は闘鶏で死んだ軍鶏を庭の物置の上に置いていました。
カチンと固まって行儀よく並んでいました。並んでいるそれを見て、
『駅前のカメラ屋のおじちゃんが、今度死んだら分けてくれって言ってたよ』
と言うと父が
『じゃこのへんの持って行ってやれ』
というので私はコチンとなった軍鶏の脚を掴んで駅前のカメラ屋のおじちゃんのところへ持って行った。
いくら足立区でもこんなの持って歩いてる奴は珍しいよねぇ。

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今はすっかり変わってしまった梅島の駅前ですが、駅前のカメラ屋さんは今も営業しています。
そう言えばあの頃、駅から島根方向にキャバレーがありましたね。父がしょ中行って母が激怒していたのを覚えています。
反対側にはパチンコ屋があって、時々父を捜しに行ったりしました。
今は多分どちらもないんじゃないかな。
それでもその先にあったオモチャ屋さんは今でもやっていました。私が小さい頃から営業していた店なのでもう40年くらいやっているんじゃないでしょうか。クリスマスや誕生日に父に連れられて買ってもらいました。
クリスマスの日に買ってもらったオルゴールは今も宝物です。お姫様のワードローブのようなデザインのオルゴールで曲は『夜のストレンジャー』でした。
40年近く経った今でもネジを巻くとオルゴールは鳴ります。聞くと泣けてきちゃいますね。
                 つづくっ!!

賽銭泥棒を目撃

旅&おでかけ

越谷にある父の墓参りに行きました。
墓の掃除をして手を合わせて帰ろうと駐車場に向かうと、どうもみるからに怪しい男がうろうろ。
母も娘も私も『あいつ怪しい』と様子を見ていました。
正月の3日で、墓参りに来る人もいなくて、その場にいたのは私たち家族だけでした。
そんなところに挙動不審の若い男が一人・・・

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手に持っているのはアキバ系の雑誌1冊。あとは手ぶら。
私たちは車の中で親子三代刑事になりきって、様子を見ていました。
お賽銭のおいてあるお地蔵さまの周りをうろうろ、賽銭箱の周りをうろうろ。
『あいつ絶対賽銭泥棒だよ!』
娘は鼻息も荒く怒っています。
『現行犯でつかまえないと駄目だよ』
などと言ってると、手のひらの小銭を数えています。どうも取った金額が少なかったのが不満なようで、もう一度賽銭箱の方に向かって行きます。
『あっ!!また行った!!』
みんなで身を乗り出して見ていると、突然本堂の扉が開いて住職さんの長男が出て来ました。それに驚いた賽銭泥棒はもの凄い勢いで自転車に飛び乗り逃げて行きました。
全く正月早々お賽銭盗むなんて罰当たりもいいとこだよね。
多分常習犯だと思うので、越谷あたりのお寺のみなさん、賽銭泥棒にご注意下さい。まだ若い男です。服装は小綺麗で普通にしてるけど、みるからに怪しいので分かると思います。

初夢が正夢?

旅&おでかけ

初夢は建築ラッシュの夢を見ました。右も左もどこもかしこも建物を建てているという変な夢で、それに伴い材木屋も町のあちこちにあるというもの。
目が覚めて、何の意味があるんだろう?と考え込んでしまいました。
さて、今日は足立区の実家に帰ってまいりました。
実家に帰る前に、西新井大師にお参りに行くことにしたので、北千住から西新井大師行きのバスに乗り終点まで行くことにしました。
西新井駅を通ってから西新井大師に行くというふうに路線が変わったので、30年ぶりくらいに西新井の駅に行きました。
するとなんと西新井駅周辺は凄い変貌を遂げていて、ビルの建築ラッシュでした。ということは・・初夢が正夢?

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西新井の駅は昔とあまり変わっていなくて、地味~な感じでした。
でも聞くところによるとシネコンが出来たり都内最大のショッピングモールができるという噂でした。
驚いちゃいますねぇ。しかし、建築ラッシュは景気がいい話ですが、それを夢で見た私には全く関係がありません。いい夢なのかな?夢占いで調べてみようっと。
西新井が賑やかになって西新井大師にもたくさんの人が参拝に来てくれといいですね。
西新井大師も昔に比べると随分お客さんが減って心配していたので、ちょっと期待してます。