2013-07-18 (Thu)

6・60℃の中で兵士たちは

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海軍硫黄島警備隊医務科壕です。
戦中は負傷者を収容していました。動けない傷病兵が殆どだったらしく、54柱の遺骨が収容されました。通路が広く最も大きい入り易い壕です。
2012年5月4日、政府は太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)に張り巡らされていた旧日本軍の詳細な地下壕の地図を発見。資料には地下壕の入り口95カ所をが明記され写真や図解も記載。 総延長は18キロメートルに及ぶとみられ地図では滑走路下にも五つ程度の地下壕を確認。自衛隊基地の滑走路などがあり現地調査が進まなかった内陸部が中心で、政府は中に多くの遺骨が 残されているとみて近く発掘調査に乗り出すということです。
総延長18キロですよ。18キロを掘ったんですから、さすがねばり強い日本人。
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壕の中はいくつかの枝道になっていたり、這い蹲らないと入れないような穴もいつくかありました。
壕の一番奥は60℃にもなる地獄のような暑さ。「当時の日本兵の気持ちを体感してみて下さい」と言われ、私も列に並びました。
以前、長野県の松代の防空壕に行った時はも8月なのに震えるような寒さで吐く息が白くなるほどでした。
並んでいると列が進むごとに30℃・・・40℃・・・どんどん暑くなって来るのが感じられます。
奥まであと7分くらいでしょうか、すでに50℃くらいの状況。蒸気というか、蒸し器の中に入っているような気分です。息苦しくて気分が悪くなつてきました。
60℃まで行き着きたかったけど、具合が悪くなったら迷惑をかけるので途中で列を外れました。全く情けないことです。それほど壕の中は地獄の蒸し暑さでした。
医務科壕ということですが、とても医療行為を行えるような状況ではありません。健康な人間でも衰弱してしまったことでしょう。
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歌人と釋迢空が「最も苦しき戦いに最も苦しみ死にたる子ら」と嘆じたように、水と糧に貧しい島の、噴出する硫気とむせかえる地熱の壕を拠点とした苦しい戦いは、ほとんど肉体の限界を超えていました。
右上の写真は別の防空壕の入り口です。写真では分かりづらいと思いますが、この入り口の周りすべて数え切れないほどの銃弾の後が残っています。アメリカ兵がめったやたら闇雲に撃ちまくったという感じでむごい状態でした。
この防空壕は、地下で医務壕につながっていましたが、現在は崩れて通れないそうです。
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