2017-04-02 (Sun)

涙や怒りはあっても笑いがない、それが戦争 

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うちの爺ちゃんは硫黄島で戦死しました。幼い子供たちを残して無念だったと思います。
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1945年5月29日。当時、千葉県に疎開していた落語家の桂歌丸さんは、東京湾の対岸に上る黒煙を見ていた。
生まれ育った横浜市が、米軍のB29などによる大規模な空襲を受けていた。自分を育ててくれた祖母は、そこに残ったまま。「ただただうちの者がどうなったろうっていう、そんな心配ばかりでした」戦後の貧しさの中、庶民に潤いを与えたのは、ラジオなどから聞こえてくる落語だった。「昭和の名人と言われていた師匠連中が、お客様をうわうわと笑わせていた」。週2回の落語の放送の熱心なリスナーだった歌丸さんは「これだ」とひらめき、小学4年生の頃に落語家になろうと決意。学校でまねごとをしては友人らを笑わせ、中学3年で弟子入りした。今や、芸歴60年以上。落語芸術協会の会長にもなった歌丸さんが「だいぶ後で気がついた」ことがある。「人間、人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや」。涙や怒りはあっても、「人間にとって一番肝心な笑いがないのが、戦争をしている所」と感じている。
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という記事でした。 「人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しい」全くその通りだと思います。同感です。
私が初めて物語を描いたのは小学生の時でした。クラスのお楽しみ会でオリジナルの紙芝居を描いたのです。とにかくみんなに笑ってほしくて、なんてセリフを言ったら笑ってくれるか、ウケてくれるか毎回真剣に描いてました。
そして生まれて初めて脚本というのを書いたのが中学の時の卒業生を祝う会の出し物の芝居でした。クラスのみんなの協力で芝居は大成功でドッカンドッカン笑って貰えてあの感動はずっと忘れられません。
私の書くシナリオはほとんどコメディです。とにかく一人でも多くの人に笑ってほしいから。私は暗い幼少期を過ごして無表情な子でした。私のアルバムを見た娘に「お母さんいつも笑ってないね」と言われてドキンとしました。笑えなかったんです。
でも、やっぱり人は笑顔が良い。みんな笑顔が良い。歌丸師匠が「人間にとって一番肝心な笑いがないのが、戦争をしている所」と感じているように、私も戦争のない世界を祈ります。貧しくても笑顔で暖かい家庭があったらそれでいいじゃないですか。
私はこれからもずっと笑って貰える作品を書き続けます。
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