2016-11-04 (Fri)

フーテンのまゆ・函館一人旅⑪私の血は宝石か石ころか

旅&おでかけ

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ガイドブックをみると立待岬から歩いてすぐに碧血碑があるということで、あまり信じられないが立て看板に従って歩いて行った。すごい山奥じゃん。歩いているの私だけだよ。みんな車で追い越していく。
歩いても歩いても全然着く気がしない。人もいない森の中。そして、ここは北海道。森の中から熊さんが出てきてもおかしくない状況だ。「熊が出てきたらどうしよう」と真剣に対処法を考えながら歩いていた。
死んだふりはダメ。最悪は全身全霊かけて戦うしかないと聞いたことがある。この間、空手の段を持っているおじさんが熊に目つぶしをして撃退したと言うニュースがあった。目つぶしするまえに、あの爪で顔面ガツンやられたら顔の肉もっていかれる。
繁みがガサガサすると「熊さん来ないでください」と必死に声をかけた。
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歩いて歩いてやっとたどり着いたと思ったら、更にそこからもっと道の狭い森の中に入っていく。女子一人ですよ~。暴漢に襲われたらどうしようキャ~怖いわぁ。・・・・はい。なにもありませんよ。熊にさえも襲われないオバサンですから。
やっと碧血碑に着いた。この碧血碑は箱館戦争における旧幕府軍の戦死者を記念する慰霊碑。土方歳三や中島三郎助などをはじめとする約800人の戦死者を弔っています。
「碧血」とは、『荘子』外物篇の記述「萇弘は蜀に死す。其の血を蔵すること三年にして. 化して碧と為る」(萇弘死于蜀,藏其血三年而化為碧)から来ており、忠義を貫いて死んだ者の流した血は、三年経てば地中で宝石の碧玉と化すという伝説にちなんだものです。
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箱館・五稜郭の防衛戦で、賊軍とされた旧幕府軍戦死者の遺体は戦闘終結後も埋葬が許されず、斃れた場所に腐敗するまま放置されていた。哀れに思った箱館の侠客柳川熊吉は遺体を回収して埋葬しようとした。実行寺住職・松尾日隆、大工棟梁・大岡助右衛門と相談し、子分たちに遺体を回収させ、実行寺・称名寺・浄玄寺に仮埋葬したのだ。
この柳川熊吉さんは、幕末の侠客。道産子ヤクザの鼻祖とされる。江戸浅草出身。本名は野村熊吉だが、柳川鍋を商売としていたので姓を柳川としたという人物です。浅草の江戸っ子が函館に渡ってこの碧血碑を建てたのです。男気だねぇ。
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何しろ歴史音痴なので函館戦争って何?新撰組が函館と関係あるの?何も知らずにここまで来ました。奇跡のバカも少しはおりこうさんになりました。
「忠義を貫いて死んだ者の流した血は、三年経てば地中で宝石の碧玉と化す」実に浪漫です。忠義を貫く・・・私もそうありたい。私が死んで流した血は宝石になるかなぁ。ただの石ころになるかなぁ。
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